ケータイ辞書JLogosロゴ ◎石に刻んだ人名の秘密―竜安寺石庭―


 滝を石組みに、水を白砂などに置き換えて、自然を抽象的に表現する石庭は、どこかしら神秘めいた静寂感を受けることからだろうか、現代人にも人気が高い。禅宗のなかで発達した石庭は、季節感の反映という日本文化に共通した美意識を明確にしない造りである。もちろん、見る人が勝手に想像をめぐらせることは自由であるし、借景とした山並みは季節の移ろいをみせてくれるわけだから、縁側に座って鑑賞する人は、気温や風とともに季節を体感しつつ、石庭が表現する自然を想像できる。
 石庭は、住居の建築様式が、寝殿造から書院造へと移行する時期に作り上げられたといわれる。開放的な寝殿造では、庭はある意味、室内と一体化したものであったが、小部屋中心の書院造は、舞良戸を通して鑑賞する庭造りを要請したというのである。いわばまるで額縁に入った自然を室内から鑑賞するようなものであった。しかも、単なる自然にとどまらず、宗教的な「何か」を表現しようとした庭造りが行き着いたところが、木々や草花のようにむやみに形を変えない石や岩、苔を使った抽象的な庭園、すなわち石庭であった。
 石庭の名園は、大徳寺大仙院庭園や妙心寺退蔵院庭園など京都でも数多く知られるが、なかでも竜安寺方丈庭園が有名である。一般に竜安寺石庭といわれるこの庭には、大小一五個の庭石が、白砂を敷いた約二五〇平方メートルばかりの敷地に配されている。
 しかし、著名な石庭であるにもかかわらず、作庭年代、作者、そして構成表現などは、いまだによくわかっていない。一五個の庭石は、東から西に七、五、三の石組としており、その表現の意味するところを、十六羅漢が水を渡るさまを表わしたものであるとか、虎の親子が川を渡るさまを映したものであるとか、また大海に浮かぶ島々であるとか、いろいろな解釈がされているものの、これという決め手はない。
 東から七番目の庭石の背面に、「小太郎・清太郎」と二人の人名が彫られており、この二人が石庭の作者であるともいわれるが、これ以外には何も残されておらず、作者とするには性急である。ただ二人は、名前からして山水河原者である可能性が高く、作庭に何らかの形で関わったと想像される。
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(C)日本実業出版「京都の歴史がわかる事典」('07/5)
JLogosID:14630154
最終更新日:2007-05-01




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