ケータイ辞書JLogosロゴ 飛脚と通信
【ひきゃくとつうしん】

暮らしと文化

江戸時代になると、公用だけでなく、民間の通信文などを運ぶ飛脚の制度が発達した。
幕府の公文書を運ぶ飛脚を「継ぎ飛脚」という。継ぎ飛脚は二人一組で、一人が「御用」と書いた高張りぢょうちんを持ち、もう一人が文書を入れたかごをかついでともに走る。一〇(キロメートル)くらい走ると宿駅で次の二人組と交代し、リレーのようにして走り続ける。普通便の場合、七十五時間程度で江戸・大坂間を走ったという。
一方、民間の人々が使ったのは、江戸・大坂間の定期便である「三度飛脚」である。大坂を月に三度決まった日にちに出発したので、この名がついた。これは寛文三(一六六三)年に幕府の許可を得て大坂・京・江戸で三度定飛脚(じょうびきゃく)の組合が作られ、通信文や荷物を運ぶようになったことから始まった飛脚制度である。
飛脚問屋を舞台とした作品に、近松門左衛門作の人形浄瑠璃(じょうるり)『冥途(めいど)の飛脚』がある。主人公は飛脚問屋の亀屋(かめや)忠兵衛である。忠兵衛は大和(→やまと<一>)の農家の息子だったが、大坂の亀屋に養子にやられた。慣れない大坂での生活と飛脚商売であったが、江戸まで三度飛脚にも行き、しだいに商売のことも分かってくる。
さて、忠兵衛は大坂新町の遊郭の遊女、梅川(うめがわ)のところに通うようになり、金が必要になってきた。そして梅川がほかの客に身請けされそうになったとき、なんとか自分が先に身請けしようとし、ついに大名の為替金を横領して使い込んでしまうことになる。
当時の飛脚屋は通信文などだけでなく現金輸送も担当しており、このように大名の為替金なども扱っていた。忠兵衛の店には絶えず高額な現金が出入りしていたため、このような事件が引き起こされたのである。当時の飛脚問屋のようすがよく分かる作品である。
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(C)東京書籍[全訳古語辞典('06/2)]
JLogosID:5113463
最終更新日:2007-12-11




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