ケータイ辞書JLogosロゴ 氷と氷室
【こおりとひむろ】

暮らしと文化

平安時代の京都の夏、貴族は涼しさを氷に求めた。
『源氏物語』常夏巻には、「いと暑き日」に、光源氏や夕霧が、「大御酒(おほみき)まゐり、氷水(ひみづ)召して、水飯(すいはん)など」を食している場面が描かれている。
また、同じく『源氏物語』蜻蛉巻には、蓮(はす)の花が満開のころ、大きな氷をなんとか割ることができた女房たちの中に、「(氷を)手ごとに持たり、頭にうち置き、胸にさしあて、さまあしう(=みっともない格好を)する人」がいたようすも描かれている。
氷水を飯にかけたり(=「水飯(すいはん)」)、酒に氷を入れたりすることもあった。
氷のまま食べるときは、砕いただけの破氷(わりひ)や刀で削りそいだ削り氷(ひ)にした。
氷には、蔦(つた)の一種である甘葛(あまずら)の葉や茎、あるいは幹から採った樹液を煮詰めた汁を甘味料として加えて食べた。
『枕草子』には、「あてなるもの」として、「削り氷に甘葛入れて、あたらしき鋺(かなまり)に入れたる」があげられている。
冬の間に凍った氷は、氷室で夏まで貯蔵されていた。
氷室の古い記事は、『日本書紀』の「仁徳紀」に見いだせる。土を一丈(=約三(メートル))ばかり掘り、茅(ちがや)やすすきを厚く敷いた上に氷を置き、草で覆う。そうすると夏の間も氷はとけることなく、水や酒に浮かべて使った、とある。
朝廷所有の氷室は、令制では宮内省主水司(もいとりのつかさ)が管理した。
一方、氷室を個人で所有している貴族もいた。平城京跡の長屋王(ながやのおおきみ)の邸宅跡から出土した木簡によると、長屋王は、五百束ずつの草で覆われた氷室を二か所持っていたという。
現在は、洛北(らくほく)鷹ヶ峰(たかがみね)の北、西賀茂氷室町の氷室神社に、氷室跡が残っている。
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(C)東京書籍[全訳古語辞典('06/2)]
JLogosID:5113466
最終更新日:2007-12-11




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