ケータイ辞書JLogosロゴ 歌聖と歌仙
【かせいとかせん】

暮らしと文化

和歌に秀でた人を先達として尊敬し、その名を並称したり、定数をあげたりすることが古くから行われてきた。その最初は『万葉集』で、巻十七にある大伴家持(おおとものやかもち)が大伴池主(いけぬし)と取り交わした書簡の中に、「山柿(さんし)の門」「山柿の歌泉(かせん)」という形で見られる。この「山柿」の「柿」は柿本人麻呂(人麿)(かきのもとのひとまろ)を指す。「山」は山部赤人(やまべのあかひと)、一説に山上憶良(やまのうえのおくら)ともいわれる。『古今和歌集』仮名序に、「かの(=平城帝(ならのみかど)の)御時(おほむとき)に、正三位(おほきみつのくらゐ)柿本人麿なむ歌の聖(ひじり)なりける」、「また、山部(やまのべの)赤人といふ人ありけり。歌にあやしく妙(たへ)なりけり。人麿は赤人が上(かみ)に立たむことかたく、赤人は人麿が下(しも)に立たむことかたくなむありける」とあり、平安時代には人麻呂と赤人が歌聖として相並んで崇敬されていたことが知られる。また、『古今和歌集』仮名序で、紀貫之(きのつらゆき)が「近き世にその名聞こえたる人」として、在原業平(ありわらのなりひら)、僧正遍照(そうじょうへんじょう)、小野小町(おののこまち)、大伴黒主(おおとものくろぬし)、文屋康秀(ふんやのやすひで)、喜撰(きせん)法師をあげて、その歌風の特徴を心と詞の調和の面から比喩を交えて論評してから、この六人の歌人を六歌仙と呼ぶようになった(→ろくかせん)。これらの歌聖や歌仙については、鎌倉時代後期の『古今和歌集』の注釈に「二聖、六歌仙」と記されている。
藤原公任(きんとう)は、『万葉集』から平安時代中期に及ぶ三十六人の歌人を選んで、その秀歌を収めた『三十六人撰』という秀歌撰を著した。そこにあげられた三十六人が三十六歌仙である(→さんじふろくかせん)。その後、三十六歌仙の家集を一括した『三十六人集』が作られ、『三十六人歌仙伝』のような伝記も編まれ、これらの肖像を描いた歌仙絵も作られるようになった。これに次いで、平安時代末期に藤原範兼(のりかね)が『後六六撰(のちのろくろくせん)』を著し、中古三十六歌仙と呼ばれる歌人を選んだ。また、藤原定家撰とされる『百人一首』は、このような歌仙意識のもとに、百首の定数歌を歌合わせ的に配列したものである。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)東京書籍[全訳古語辞典('06/2)]
JLogosID:5113472
最終更新日:2007-12-11




ケータイ辞書 JLogosトップ