ケータイ辞書JLogosロゴ 貴族のペット、猫
【きぞくのぺっと】

暮らしと文化

『源氏物語』若菜・上で、柏木(かしわぎ)が女三の宮の姿を見ることができたのは、猫のおかげであった。「いと小さくをかしげなる」唐猫が、大きな猫に追われた。そして御簾(みす)の下から室外へ逃げようとした際、唐猫は「綱いと長く付」けられていたため、「御簾のそば」が「いとあらはに引きあけられたりける」ことになり、室内にいた女三の宮の姿が外から見えてしまったのである。
猫は貴族の愛玩(あいがん)動物で、綱をつけて飼われていた。『古今著聞集(ここんちょもんじゅう)』巻二〇には、「保延の比、宰相の中将なりける人の乳母、猫を飼ひけり。その猫の高さ一尺、力強くて綱切りければ、つなぐこともなくて、放ち飼ひけり」とあり、御伽草子(おとぎぞうし)『猫の草子』には、「慶長七年八月中旬に、洛中に猫の綱を解きて、放ち給ふべき御沙汰あり」とある。
『枕草子』の「うへにさぶらふ御猫は」の段には、一条天皇が舶来の猫をかわいがっていたことが記されている。猫に五位以上の女官である命婦(みょうぶ)の称号を与えるほどで、「命婦のおとど」と名づけられていた。またその猫が出産した際、女房から乳母が任じられ、「産養(うぶやしな)ひ」の祝宴まで催したという記録が、藤原実資(さねすけ)の日記『小右記(しょうゆうき)』長保元年九月十九日条にある。しかしあまりのいきすぎに「時の人、之を咲(わら)ふ。…奇怪之事なり」とも記されている。
猫は舶来の動物であったとされており、中世でも猫の輸入は続いていた。『明月記』嘉禄二年二月七日条には、関白近衛家実(このえいえざね)に届けられるじゃこう猫といんこを、藤原定家が見たという記録がある。
ただ、貴族の中にも猫嫌いはいたようだ。『今昔物語集』二八・三一に登場する大蔵大夫藤原清廉(きよかど)は、「前世は鼠(ねずみ)にてやありけむ、いみじく猫になむ恐(おぢ)ける」男であった。官物(=税)を納めようとしなかったため、大和国司藤原輔公(すけきみ)は、清廉を出口が一つしかない部屋に入れ、五匹の猫を放って脅し、官物を納入させることに成功した。
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(C)東京書籍[全訳古語辞典('06/2)]
JLogosID:5113475
最終更新日:2007-12-11




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