ケータイ辞書JLogosロゴ 枕草子
【まくらのそうし】

主要作品解説


作者・成立
作者は清少納言(九六六?~一〇二五?)。父は歌人・学者で、『後撰和歌集』撰者の一人であった清原元輔きよはらのもとすけ。学問的な環境の中で育った清少納言は、和漢の幅広い教養を身につけていった。十六歳ごろに橘則光たちばなののりみつと結婚したが離別し、正暦四(九九三)年ごろ、一条天皇の中宮(後に皇后)である定子ていしのもとに仕えた。持ち前の才知を発揮して定子に愛され、中宮の兄伊周これちかや弟隆家たかいえからも厚遇され、藤原行成ゆきなり、斉信ただのぶ、実方さねかたらと親しく交わった。中宮の父道隆みちたかの全盛期は短く、道隆は病死し、伊周・隆家が左遷される事件があって、定子は職しき の御曹司みぞうしに移る。長保二(一〇〇〇)年、定子が亡くなると宮仕えを退き、藤原棟世むねよと再婚した。晩年は不遇であったらしい。家集『清少納言集』があり、『後拾遺和歌集』以下の勅撰集に十五首入集する。 成立は平安時代中期。跋文ばつぶんによれば、長徳元(九九五)年ごろにはある程度まとまった草稿があって、その後大幅な増補・加筆が行われ、長保三(一〇〇一)年ごろまでに成立したと考えられている。 草子(冊子)とは紙を重ねて糸でとじ合わせた本のことである。跋文によれば、定子が伊周から献上された草子に何を書こうかと相談したのに対し、作者が「枕にこそは侍らめ」と答えたところ、作者はその草子をいただいた。それに書いたのがこの『枕草子』であるという。 もとは枕草子は普通名詞で、身辺雑記帳、手控えの意という。歌論書『八雲御抄やくもみしょう』では清少納言枕草子という言い方がされている。
内容・構成
長短約三百の章段から成り、雑然と並べられているが、内容・形式のうえから次の三種類に分けられる。[類聚るいじゅ章段] 同類のものを列挙していく段で、「山は…」「鳥は…」のような「…は」型と、「あてなるもの…」「すさまじきもの…」のような「…もの」型とがある。いずれも同類のものを列挙していく形式で、両者合わせて全体の半数近い百三十段前後を占める。定子を中心とする女房集団の中で競われた知的遊戯が背景にあり、微細な観察と独自の美意識が見られる。[日記的章段] 定子の人となりをしのばせるエピソード、出入りする貴族男性への応対などを女房の立場から記録したもので、四十段ほどある。道隆一門(中関白家)の栄華を賛美する姿勢で貫かれており、作者自身の私的なことや道隆一門の陰の面にはほとんど触れられていない。[随想的章段] 冒頭の「春はあけぼの」の段をはじめとして、自然や人事について自由な感想や回想を書き留めたものである。
文体・特色
宮廷文化の諸相を、鋭敏な感覚で印象も鮮やかに表現している。類聚章段では体言止めや連体止めの簡潔な表現が多く、一方で日記的章段では長文による精細な叙述がなされるなど、緩急自在な筆の運びが見られる。「をかし」の文学と評されるように、美を知性的にとらえて感覚的に表現しているところに、この随筆の魅力がある。
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(C)東京書籍[全訳古語辞典('06/2)]
JLogosID:5113637
最終更新日:2007-12-11




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